神戸市立医療センター中央市民病院の真実

セカンドオピニオンの重要性 良い治療を納得して受けるために

医療も司法も男性社会・男性目線?

第8章 セカンドオピニオンの重要性


今回の事で、患者を取り巻く医師も、司法も所謂男性でした。
彼らは所謂、人生の王道を歩いてきたエリートです。
未婚未産婦の患者に、問診もしないで全摘と決めつける部長北正人医師。
その下は下で、患者の全摘拒否や希望を一切無視する宮本和尚医師。
共通して言えるのはこの人たちは、閉経前の巨大筋腫の患者=開腹全摘の頭しかないのでしょう。
地裁の時は、被告病院とのやり取りにあたって、女性裁判官が携わって下さいました。
若くてきれいな裁判官でした。
所謂今でいう"美人すぎる"に知性と教養、人間味も備わっています。
その裁判官は、「アゴニスト療法の説明があっても良かったのではないか」と私たち原告側に寄り添って下さいました。
しかし、半年もたったころ、挨拶も自己紹介もなく、裁判長(もちろん男性)が現れ、 「こんなのは話にもならない。」と女性裁判官の意見を一蹴。
原告サイドのトーンは一気に下がりました。
医療裁判までするのは、それなりの思いがあるからです。
しかし、彼ら男性、司法に患者の声は届きません。
司法にとって病院・医師、そしてカルテまでもが100%正義で、そういう病院・医師に文句を言う患者は100%悪者です。
それが証拠に、判決文にも

「手術の実施に影響を与える事情を記載しないとは考えられない」

とし、 さらには、病院と同じく

「信用する事が出来ない。」

と、カルテに書かれている言葉をそのまま鵜呑みにして患者を悪者として扱い、判決文に書き、患者をさらに追い込む。
しかし実際、意見書の手紙にもあるように「カルテに書かない医師」はいるのであり、 そういう事を知らずに、医師の言う事やカルテをそのまま鵜呑みにしてしまう司法に、真の判決は出来るのでしょうか。
そもそも「腐っていた」とか「赤黒くなる」とか発言するような医師です。
しかも、そういう医師はそこまで計算してカルテを作り上げているのです。
司法まで、うまく騙しました。
患者がそうなってしまう(手術をしてしまう)のも無理はありません。
そういう事を知らない、そんな人が司法の長としておさまっている・・・、
残念な気がします。
高裁も男性3人で、まともに取り合ってももらえなかったという気がしました。
男性社会というだけでなく、権威、権力、国家資格がものを言うという事でしょうか。
北、宮本医師のように、閉経前の女性に子宮は不要(用済み)という考え方が、 医師だけでなく、社会全体にあるのかもしれません。
20年30年前の、専業主婦が当たり前という時代から、子供を持って、 仕事も続ける、そういう女性をとりまく社会もかなり変わりました。
時代は変わったと思っていましたが、まだまだ根底にあるものは変わっていないようです。
男性社会、男性目線だけでなく、権力権威等、根深いものがあるようです。
「明るい所にいる者は、暗いところを見ることができない。」です。

「女の立場から医療を問う 子宮をとりたがる産婦人科医たち」

「著者の中村智子さんは当時五三歳、数年前子宮筋腫の診断を受けてはいたが、手術の必要はないといわれ、元気に過ごしていた。
たまたま受けた癌検診でこんどは手術が必要、しかも卵巣も取りましょう、といわれたことから 子宮筋腫の治療に疑問を持つ。
医学論文や医師へのインタビューで専門的な情報を集めるかたわら、家庭医学書の中や富士見事件の扱われ方の分析から、 医学の中で「子宮」が単に子産みの臓器と考えられ、子供を産まない人や産み終えた女にとっては無用のものとされてきたことが、 必要のない子宮摘出の土壌になっていることに思いいたった。
そして医学がこれほど進歩しながら、子宮筋腫の保存療法に医師が関心を向けないこともその理由になっていると指摘している。」

「どうする子宮筋腫 日本婦人会議より」

富士見産婦人科事件が1980年、「女の立場から医療を問う 子宮をとりたがる産婦人科医たち」が書かれたのは1989年です。
それから、何十年もたち、その時には無かったであろう腹腔鏡手術ができるようになり、それが当たり前となった現代医学においてさえも、 さほどこの本に書かれているような医師・病院がある、それは事実なのです・・・。